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[ショートインタビュー]2026.1.25

「日本とタイを結ぶ現場の最前線」青島律が語る国際マッチメーカーの実像

「日本とタイを結ぶ現場の最前線」青島律が語る国際マッチメーカーの実像

 日本とタイを拠点に活動する国際マッチメーカー、青島律氏。大学時代の探検部時代にタイへ渡った若者は、やがてムエタイ、そしてボクシングの世界へと足を踏み入れ、30年以上にわたり日泰ボクシングを現場で支えてきた。

 選手の派遣だけでなく、通訳、セコンド、生活の世話まで担うその仕事は、表に出ることの少ない縁の下の力持ちだ。

 本インタビューでは、青島氏の異色の歩みとともに、近年低迷が指摘されるタイのボクシングの現状、そして若い選手たちに寄せる率直な思いを語ってもらった。
24歳でタイへ渡り、現在は長男と住んでいる
 青島氏がタイと深く関わるようになった原点は、大学時代に所属していた探検部にある。折り畳みカヌーを携え、2ヶ月をかけてタイの川を下る壮大な冒険に挑んだ。そのカヌーには、元世界王者センサック・ムアンスリン氏の名が付けられていたという。

 「子どもの頃から外国に住みたいと思っていた」。その漠然とした憧れは、この旅を通じて確かな実感へと変わり、タイでの生活を現実の選択肢として意識させることになる。

 就職後も、その思いを捨てきれなかった青島氏は、24歳の時に再びタイへ渡った。語学学校に通いながら生活基盤を整える中、縁に導かれるようにムエタイジムに身を置くことになる。子どもの頃からテレビでボクシングを親しんで見てきたこともあり、格闘技の世界に身を投じることへの抵抗はなかったという。

 こうして青島氏の「タイで生きる」という夢は、偶然と必然が交錯する中で、静かに、しかし確実に形を成していった。
タイと日本を行き来しながら活動
 そこからムエタイの試合を経験し、キックボクシングの仕事を経て、やがてボクシングの世界へ。

 日本の専門誌でタイ通信員を務めたことが転機となり、「記事を書くなら、ボクシングを知らなければ」とジムに通い始めた。チタラダ・ボクシングジムで有吉将之会長(現:秩父ジム会長)と出会い、マッチメークの世界に足を踏み入れた。
タイ、フィリピン、オーストラリアの選手を派遣
 現在の青島氏の仕事は、プロモーターからの依頼を受け、タイ人選手を中心に、時にはフィリピンやオーストラリアにも連絡を取りながら対戦相手を手配することだ。

外国人選手の縁の下の力持ち

 しかし実態は、欧米型の「マッチメーカー」とは異なる。来日中の外国人選手が不自由なく過ごせるように身の回りの世話をし、通訳を務め、時にはセコンドにも就く。まさに縁の下の力持ちである。
2017年にはOPBFから感謝状が贈られた
 一方で、青島氏は近年のタイ・ボクシングの低迷を率直に語る。1990年代から2000年代初頭までアジア最強と称された時代と比べ、現在の競技人口は減少。育成型プロモーションも限られており、ムエタイに比べてボクシングは厳しい状況にあるという。日本に来るタイ人選手が結果を残せない現実にも、歯がゆさを隠さない。「日本に比べて練習量が足りない」。「理論が弱い」「日本に来ると気が小さくなる」。

タイ人選手に苦言を呈す

 現場で見てきたからこその苦言だ。ムエタイ由来のアップライトな構えが抜けきらず、ボディを攻められて崩れていく姿に、思わず苦笑いも漏れる。それでも、しっかり練習を積むトレーナーの下では、内容のある試合をする選手もいると評価する。
タイ人選手の奮闘に期待している
 若い世代への期待も大きい。タイではアマチュアボクシングが根付き、日本に来る選手の多くも高校で競技経験を積んできた人材だ。素材は確実に存在している。

 「マッチメーカーだから、こうしてほしいとは思うけれど、選手を直接抱えているわけではない」。その立場ゆえのもどかしさを抱えつつも、青島氏は今日も日本とタイをつなぐ現場に立ち続けている。

 勝敗の数字だけでは測れない積み重ねが、国と国、人と人を結び、次の世代へと受け継がれていく。環境が厳しい今だからこそ、現場を知る人間の存在が、未来への橋渡しになる。

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